情緒もへったくれもなくひたすら暑いだけの夏も終わり、虫の音が賑わいを増してまいりました。気象のみならず、人心までもがとちくるっている昨今、皆様如何に正気を保ちつつお過ごしでせうか? まあ今のご時世、多少狂っちまっているほうが、生きるには楽でございますよね。
このところ小生、ずっと、家に楽器のない生活を送っております。思うところあってとか、生活に窮して売り払ってしまった、とかじゃありません。売り払うというのは、話としては面白いんですがね。
実は拙宅、30年来悩まされているある問題解決に向け、昨年秋に大々的リフォームを敢行したものの、断続的な工事にいまだ決着がつかず、預けた楽器の戻る場がないといった有様。想定外の事態に往生しております。もろもろ含めれば、昨年の春先から常に工事中といった状況であり、おそらく周囲からは奇異の目で見られているであろうし、友人からは、「ガウディだね!」「存命中に完成します?」などと揶揄される始末。一応今月中には完成する予定ではあるんですが・・・・。
長期にわたる工事はともかく、その間まったく楽器に触れないことにかなりのストレスを感じそうなものだが、不思議とそれはなく、心中穏やか、いたって正常であります。むしろ楽器の顔を見ないことが心の安定につながっているようで、新たな自分発見といったところなのだ。楽器が戻ってきた際、どのように心が反応するかは自分でも楽しみなところではありますな。
ところでお知らせです。 最新の映像をYouTubeに掲載いたします。ちょいとめずらしい、Leonard Pennario編の「皇帝円舞曲」です。演奏は昨年夏、函館の某音楽祭に招かれた時のものです。この手の曲は、常識的にはプログラム最後、もしくは、アンコールで演奏されるものであって、単発というのはきつい。特にこの歳ではね。でもまあ、なかなか映像は撮れないし、60半ばのジジイの演奏としてはい〜ンじゃないの。覗いてみてくだされ。
一応簡単な解説文を載せておきます。
<J・シュトラウスII=ぺナリオ 皇帝円舞曲> J.シュトラウスIIのワルツからの編曲はS.エブラー編の「美しく青きドナウ}をはじめゴドウスキー編の「芸術家の生涯」、「酒・女・歌」、タウジッヒ編「人生は一度だけ」などが知られている。ロゼンタールやフリードマンのものまで含めると、かなりの数にのぼるだろう。それらは、往年のヴィルトゥオーソピアニストたちの音楽に対する情熱のみならず、演奏という行為の一端を担うエンターティメント性を継承するものであり、当然のことながらロマンティックな感覚とともに超絶的な技巧を要求されるものである。
アメリカのピアニスト、Leonard Pennario(1924〜2008)による皇帝円舞曲も、そういった一連の傾向にあるものであって、自身、ヴィルトゥオーソピアニストであった彼の演奏技巧を伝えるものである。編曲としては、それほど複雑に込み入ったものではなく、どちらかといえばおおらかで明快なものである。10度音程を多用した響きは豊かでのびやかな魅力に満ちている。また、全体になんとなくアメリカンテイストが漂っているのもご愛嬌である。おそらく日本では初演であろう。 |